暑い夏の日。涼しげな竹林で季節をあじわう【禅とお茶と竹の庭】
8月の雲一つない快晴の日。出かけた先は竹林で有名な報国寺。
約2,000本もの立派な妄想竹の足元に落とされた影は、炎天下のアスファルトを歩いてきた人々に夏の涼をもたらしている。
竹林の間をそよぐ微風は、決してクーラーのように一気に熱を冷ましてくれることはないが、どこかほっとするような涼しさを与えてくれる。
最近、「日日是好日」というお茶にまつわるエッセイ本を読んだこともあって、五感で季節を味わうことに意識的になっていた。
禅とお茶の考え方には、幸せに生きることのポイントがたくさんある。今回の報国寺の訪問を通して体感した、素敵な日々の生き方を共有したい。
夏の涼を感じる
夏は蒸し暑くて嫌いだという人もいる。雨が止まずじめじめした梅雨、大雪に見舞われ寒さの厳しい冬。どんな季節にも苦手に感じる部分があるものだ。
しかし、五感を使って今この瞬間にここにいることを一心に味わうことができれば、そんな季節も素敵な季節になる。
夏はその暑さがあってこそ、木陰を吹く風の涼しさを味わうことができる。五感に意識を向けて初めて、今吹いた風の冷たさに感動できるのだ。
降り始める前の雨のにおい、地面を打つ雨音、ゆっくりと静かに空を舞う雪、朝一面に色がる白い雪野、その上を歩く感触と音。
何気ない日常。そこに意識を向けるだけで、こんなにも季節を味わうことができる。
日日是好日(にちにちこれこうじつ)
エッセイのタイトルにもなっているこの言葉は、茶室の掛け軸に書いてある言葉として登場する。
有名な禅語で、今この瞬間を生きればどんな日も「いい日」になるという意味だ。
単に毎日いいことばかりが起こるから好日なのではない。
どんな日であっても自分次第で味わって生きることができる。何があったとしても、すべてが好日だ、という意味である。
人間の良し悪しの判断を超えた視点である。悟りを開いた僧でもないので、災難にあったり大切な人を失った日でさえ好日ととらえるのは難しいかもしれない。
しかし普通の日々の生活のなかで、自分の感じ方・考え方を変えることで「いい日」にすることはできるだろう。
季節と切り離せない生活
余談になるが、最近クーラーが効きすぎて寒い部屋から出でトイレに入ると、心地よい暖かさだった。冷えた体には暖かいという言葉が合う。冬にこの温度の部屋に入れば、暖かいと喜ぶはずだ。しかし今の季節が夏だからか、意識では「暑いな」と思った。
一定の基準をもって暑い・寒いとしているのではなく、季節を基準にして暑さ寒さを判断していることを感じた瞬間だった。
季節を味わい生きる
五感で自然を感じるようになると、日々の中で小さな幸せを見つけることが得意になる。
感性が磨かれると、小さなことに心動かされありがたさを感じるようになるからだ。
まずは、今この瞬間この季節を味わって生活してみてはどうだろうか。