言語という制限。
ノルウェーの電車の中、後ろの席から「すみません」と声をかけられた。
振りむくとノルウェー人の男性だった。彼の日本語の流暢さと、ノルウェーという場所で日本語の話者に出会ったことに驚きを覚えた。
ノルウェーにきて約半年、日本の漫画やアニメが好きだと話し、日本文化に興味を持っている外国人の友達はいるが、日本語を話せる人には会ったことがない。
話せるほどに日本へ興味関心を向け努力すること、日本に”好き”という気持ちを持ってくれていることが嬉しい。
心を動かされるこの出会いをきっかけに、言語について考える。
言語の難しさ
中学校から英語を勉強し始めて約9年。英語が好きなこともあり、学校の授業以外にも自主的に勉強してきたつもりだったが、留学先で第二言語として英語を話すヨーロッパ人たちとの圧倒的な英語力の差を感じる。
日本人が英語の習得に苦労する理由。
日本の英語教育は、スピーキングやライティングなど英語のアウトプットが非常に乏しいことも原因の1つに考えられるが、そもそも英語と日本語の構造は大きく異なっている。
言語構造が異なると言語習得には時間がかかる。米国務省の機関FSIが発表した「外国語の研修成果と学習時間に関する資料」によると、アメリカ人が日本語を習得するのにかかる時間はドイツ語に対する時間の約2倍。
インド・ヨーロッパ祖語から派生している英語は他のヨーロッパの国々の言語との共通点は多い。
つまり私の場合、同い年のドイツ人の友達と英語力の違いがあるのは、私が彼女の2倍勉強していない限り当たり前なのだ。
現状の不足を嘆いてもしかたがない。それよりも、日本語を流ちょうに話した彼のように、たくさん英語を話して努力を積み重ねていくしかない。
言語という制限
言葉とは、意思疎通をサポートする便利なツールである反面、フラストレーションをもたらす大きな制限でもある。
非英語圏を旅行すると、レストランや交通機関で書かれている言葉が理解できない。話していることが分からないし、言いたいことを伝えられないのがもどかしい。
いくら英語が共通言語であるといっても、常に自分の満足のいくコミュニケーションとることは不可能だ。では、現地語を学ぶか?世界には190以上の国があり、すべての国の言語をマスターするのは大変だし、やる気が出ない。
英語力不足によるコミュニケーションの壁を越えても、ほかの国を訪れればまた同じもどかしさを覚える。
そもそも同じ日本人同士でさえ言いたいことが上手く伝わらず誤解を招くことすらある。
言葉にできない。よく聞く表現だが、確かに言語では表せない感情の形や想いの色は、無理に言葉で表現すると事実と異なってしまうことがある。
言語とはなんて制限的なツールなんだろう。テレパシーでも使えたら良いのにと思うこともある。
しかし、制限があるからこそ言語の表現は美しいのかもしれない。日本の先人たちが和歌や俳句をたしなんできたように。