白いお部屋

シンプルに幸せを見出す人のお話。

多様だからこそ面白いこの世界

f:id:norwaylife:20191211072958j:plain


高校の現代文の授業で読んだ夏目漱石の「こころ」

 

名作文学といわれ、出版から100年以上たった今でも読まれ続けている本だが、当時の私は筆者が込めたメッセージも、面白さもわからなかった。

 

教科書に載っているのはほんの一部だが、私の高校では文庫本を購入しまるまる一冊を授業で扱った。

 

一章と二章で”先生”の暗い過去がほのめかされながら物語が進み、最終章の三章では「先生の遺書」を主人公が読むかたちでその過去が明らかになる。

 

読書好きな私だったが、この物語はどうにも重く、なかなかいつものように読み進めることができなかった。

 

あれから4年。私は中田敦彦YouTube大学のチャンネルで夏目漱石の「こころ」の解説動画をみて、なぜ私が「こころ」を理解できなかったのかが分かった。

 

彼の解説によると、「こころ」は”先生”の人生という物語に、明治時代から大正時代における道徳の考え方の移り変わりが落とし込まれた作品である。

 

明治時代の人々は封建的道徳のもと、国のため家族のために生きそして死ぬのが正しいと信じていた。物語のなかでも、明治天皇崩御し、天皇のあとを追って殉死する乃木希典が出てくる。そして”先生”はその乃木希典の殉死をきっかけに死を決意する。

 

しかし、大正へと時代は移り変わり西洋的個人主義があたり前の社会となっていく。私たちが生きている今もこの考え方にもとづいた社会だ。

 

明治の道徳観を持っていない現代人だから、私は殉死が理解できないし、「こころ」が理解できなかったのである。

 

封建的道徳や殉死という概念は理解できても、その信条を持つことは難しい。友達が、尊敬する人や家族が死んだから自分も死ぬといったら、その意思を尊重することなく止めてしまうだろう。

 

 

私たちは、正義観や道徳観などについて自分なりの信念を持っており、自分が信じる常識のなかで生きている。そして個人の信念は、時代や自分の住む国の考え方に大きな影響を受けてつくられている。

 

たった100年前の話でも真に理解できないくらい、信念の影響力は大きいし、常識の移り変わりのスピードは速い。

 

同じ地球上にいても、国や地域が違えば常識がちがう。日本という国であっても、時代が変わればまったく違った考え方のある社会で人々は生きている。

 

 

同じ場所なのに、同じじゃない世界があることがとても面白い。

 

 

科学で証明され、目に見えるものだけを信じる世界にわたしは今生きている。現代の科学技術は人間の歴史のなかでもっとも進んだ時代にあるだろう。

 

しかし、ピラミッドの建築技術は現代の建築水準に匹敵するといわれ、古代エジプト人がなぜピラミッドを建てることができたのかは解明されていない。

 

かつて地球には目に見えないものを重視する世界があり、その力は科学に匹敵するほど強力なものだったのだろうか。あるいは、地球の外部の存在とのつながりが強固な時代があり、その力を享受していたのだろうか。

 

今の時代の常識のなかで生きている私には、到底理解が及ばない世界だったのだろう。

 

そんな時代を想像しながら、この世界はなんて多様で面白いのだろうと思いをはせる。