白いお部屋

シンプルに幸せを見出す人のお話。

4歳のころからお寺で座禅をくんでいた話。

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今日のYouTube大学は禅についての授業だった。

 

禅はとても面白い教えだと、熱く語られている。

 

アップルで有名なスティーブ・ジョブズも禅の思想を取り入れていたことで有名だが、アメリカでメジャーなキリスト教と、禅の思想をもつ仏教は、かなり対比的な性質を持っている。

 

キリスト教の考え方では、正しい行いをすることで徳が積まれていく。つまり、プラスを積み上げていこうとする教えである。

 

一方仏教では、苦しみを減らし無を思考する。つまり、マイナスからゼロを目指す考え方なのである。

 

そして禅とはそんな仏教の教えの一つの要素であるが、かつて達磨太師が禅にフォーカスして教えを広めたことで、禅そのものとしても有名である。

 

「禅」という言葉は聞いたことがあっても、詳しくはよく知らないという人が多いだろう。かくいう私も、その一人だ。

 

しかしそのYouTubeを見ながらふと、幼稚園のころにお寺で座禅を組んでいたことを思い出した。

 

私が通っていたところは、お寺の付属の幼稚園で、年長になるとお寺の境内で座禅をする伝統がある。

 

一週間か二週間に一度、あるいは一ヶ月に一度だったか、詳しくは覚えていないが、定期的に座禅の日が設定されていた。

 

その幼稚園に通っていたのは、家が仏教だからということもなく、ただ単に家から近いというだけの理由だった。幼稚園までは先生と家が近いほかの園児たちと一緒に歩いて通っていた。

 

当時の私は、大きな幼稚園にバスで通っている近所の友達をうらやましく思ったこともあった。迎えのバスがドラえもんの歌を流しながらやってくる様子は、子供だった私の目にとても魅力的に映ったものだ。

 

 

それはさておき、小さなころから自然と仏教に触れてきたわけだが、仏教の教えなるものは実はまったく覚えていない。

 

ただ、お寺という、普段の場所とちょっと空気感のちがう空間で、修行のようなちょっと偉いことをしている誇りを、小さいながらに感じていたことは今でも思い出せる。

 

そしてその過去を今振り返って、いい経験をしていたなあと感じている。

 

好きなことをして遊び、こころの向くまま生きていたあの頃の私にはきっと、”教え”を学ぶことは必要なかった。

 

人は、大人になって思考が上手くなる。今の私は、禅の思想を知ることが、あの幼き頃の私、原点の私にかえるのにきっと役に立つだろう。